ごめん。

心を言語化する

1年経ちました。

 

Galileo Galileiの武道館でのラストライブから1年が経った。10月11日。

 

 

1年前の私は、真っ暗闇の中をふらふらになりながら無理やり歩いていたような生活を送っていた。

学校が嫌で嫌で、朝の電車は本当に地獄で、この電車が脱線すればいいなぁ、とか思ってた。

ほんとに辛かったなぁ。

 

そんな時に、どんな時も傍に寄り添っていてくれていたのはGalileo Galileiの音楽だった。

辛い電車の中で毎日慰めてくれた。

学校のトイレでもGGの音楽がいてくれたから独りじゃなかった。

朝が来るのが怖くて眠れない私を抱きしめてくれたのもGGの音楽。

 

 

中学生のことから数え切れないほど救ってもらっていた。

高校受験の時も支えてもらった。

 

 

こんな私の拙い言葉じゃ、表せないくらい、私にとってGalileo Galileiの存在は大切なんだよ。

ほんとに大好きなんだ。

 

 

 

そんなGalileo Galileiが活動終了してから今日で1年。

早く彼らに会いたい。

彼らの音楽を聴きたい。

いつまでも待ってるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしても納得いく言葉が紡げない。

今日の内にどうしても載せたくて。

ごめん。

 

 

 

勇気が出せない

 

 

死ぬ勇気が出せない。

自殺する勇気がない。

 

ネットで確実な方法調べても、どの方法にも失敗経験談が出てくる。

拳銃でも持ってれば出来るのかもしれないけれど。

自殺に失敗するのは怖いし、後遺症残って中途半端に余計苦しくなるのは嫌だ。

そもそも、死ぬこと自体も本音を言えばすごく怖い。

 

あーもう、ごちゃごちゃ言い訳ばっかり言ってほんとにごめんなさい。

私は生きてちゃいけない人間だっていうのはちゃんと分かってる。

ほんとにごめんなさい。ごめんなさい。

早く死ななきゃいけないのに、死ぬのが怖い、勇気が出せない。

ごめんなさい。

私はどうすればいいのか。

勇気がどうしても出せない。

怖いんだ。どうしても怖い。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 

 

適当に生きたかった

 

 

適当に生きたかった。

深く考えすぎず、何かあっても引きずらないで、なんにも気にしない、そんなふうに生きたかった。

 

私はもう疲れてしまった。

 

全てにおいて、考えすぎて結局何もできない。

何かあったらずっと引きずって永遠に気にし続ける。

 

もう疲れた。

もう生きるのが嫌でたまらない。

もう死にたい。

生きているのが申し訳なくてしかたない。

つらい。

苦しい。

しんどい。

もう抜け出したいんだよ。

変わらないのなら、死ぬしかない。

でも、死ぬ勇気もない臆病者の私。

こんなゴミクズの私はほんとに死ぬべきだ。

 

生きててごめんなさい。

 

 

 

 

 

私はいつまで甘えてんだよ

 

 

私は病気を言い訳に、何も頑張っていない。

今日も気圧が低くてしんどいって言って、勉強しなかった。

 

友達はみんな、勉強をすごく頑張っていたり、バイトしたり、部活を真剣にやっていたり、みんな何かしらちゃんと頑張っている。

それなのに私は、今日もベッドの上で潰れていただけだ。

 

通院以外の外出はほとんどしないし、学校に行くのも月2回。レポートも溜まり気味。

 

こんなゴミ以下の私が生きているのが申し訳なくてたまらない。

ほんとに、早く死ぬのが社会の為だ。

 

私もバイトとかしてみたいと思ったりもするけれど、まず電話が怖くてできない。そもそも1日外に出る自信なんて無い。2日連続で外出できない。人が怖い。

 

言い訳ばっかり。こんな人間いらないよな。

本当に生きててごめんなさい。

 

 

葛藤に殺される

 

 

ライブに行きたい。

 

好きなバンドのライブに行きたい。

 

ライブはその時しかないから、同じライブなんてひとつもないから、だからこそ行きたい。

 

 

 

ライブに行くのは怖い。

ライブというか、東京まで行くのが怖い。

電車は苦手だし、人が多い場は怖い。

天気が悪くて気圧が低かったらそれこそ無理だ。

それと、ライブハウスは密閉空間なので体調が悪くなりやすい。

だから、怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 

ライブに行くなら出来るだけ良い整番で行きたいから、行くかどうかを早く決めなくてはいけない。

でも怖いから、迷って迷って、苦しい。

 

 

実際にライブが始まってしまえばとっても楽しくて、幸せになれる。行ったことを後悔したライブなんてひとつもない。行かなくて後悔したライブは山ほどあるし。

 

 

私はどうすればいいのか分からない。

こんな、答えなんて分かりきっているような葛藤に殺される。

 

 

生への執着心が無い

 

 

私は希死念慮を常に抱えているので、当然ながら生への執着心が全く無い。

 

最近、ミサイルとかのニュースをよく見る。

みんな、ミサイルがもし落ちた時に生きる延びる方法を探していた。

みんなの生への執着心に私はただただ驚いた。

 

私は、ミサイルで死ねるなら自殺しなくて済むしラッキーだな、としか思えなかった。

みんながどうにか生きようとしている、死ぬのを恐れている様子が、私には不思議でたまらなかった。同時にとても羨ましかった。

 

生きたい、死にたくない、と思える人生が欲しい。

毎日毎日、死にたいって泣く人生なんて、私は要らないんだよ。

 

 

本当はこんなことどうでもいいのに

 

 

私は苦しさを他人と比べるのが好きじゃない。

誰がいちばん苦しいか辛いかなんて、比べたって誰も幸せにはなれない。

むしろ苦しみが増えるだけ。

 

 

私は、「あの子は私より苦しくなさそうなのに弱音なんか吐いてんじゃねえよ」なんてことは微塵も考えないけど、他の人たちは私に対してそう思ってるんじゃないかなって考えてしまう。

 

私は学校も毎日行ってないし、バイトもしていないし、なに一つ頑張っていない。

そんな私が弱音を吐いたら、他の人たちは「何も頑張っていないくせに何言ってんだカス」って思うに違いない。

何も頑張っていない私が弱音なんかを吐くなんて、自分でも本当に申し訳ないと思っている。

何も頑張っていないのに、のうのうと生きててごめんなさい。って。

 

本当はこんなことどうでもいいのに。

他人にどう思われたって、それで死ぬわけじゃないし。

どう思われようと関係ないのに。

 

でも、自分が弱音を吐くことで誰かを不快にさせてしまっている気がする。

私が苦しいのも辛いのも、それは自分だけの問題だから別にいいけど、私のせいで誰かが不快な気分になるのは避けなくてはいけない。

そんなことを思って今日も口をつぐんでしまう。

 

 

私の口から、どんな言葉なら、出しても許されるのだろうか。