ごめん。

心を言語化する

正しいとか悪いとか、そんなものは存在しないんだ

「死にたい」と思うことは良くないこと、とか

「自殺」するのは悪いこと、とか

世間ではこういうことを『正しい』とは認めてくれない。

みんな、悪いとかダメだとか否定する。

 

お医者さんも「自殺はしないって約束してくださいね」って言う。

学校の先生も「命は大切だから無駄にしちゃダメですよ」って言う。

政治家だって「自殺を減らそう」とかなんとか言ってる。

 

でも 死にたいって思うこと、自殺することはなんでいけないことなのか、誰もちゃんと説明なんてできてない。

「悲しむ人がいるから」とか「迷惑かけるから」とか、意味わかんないことばっかり言うんだ。

 

悲しむ人がいたら死んじゃダメなの?死にたいって思っちゃダメなの?そんなに他人のことばっかり考えて生きていたらもっともっと死にたくなるんだよ?自分のことだけ考えているのじゃダメなのかな、こんな時くらいは自分のことで精一杯でいいじゃんか、ねぇ

 

迷惑かけるって、一切迷惑かけずに生きるのも死ぬのもそんなの無理だよ。普通に生きていたってなんかしら迷惑はかけてしまうし、寿命で死んだって迷惑かけるよ普通に。

 

 

だから、みんなが『悪い』とか言ってるのって全部、『悪い』ってことにしておかないと都合が悪いから、そう言ってるだけなんだよ。

「自殺していいよ」って言って大勢の死にたかった人が自殺したら社会がめんどくさくなるから、ダメだって言ってるだけ。

 

命は大切だとか、全部綺麗事なんだよ。

全部都合いいように言ってるだけだよ。

そういうことにしておいてよ。

 

正しいとか悪いとか、そんなものは全てにおいて存在してなくて、全部幻想だから、気にしなくていいものなんだよ。私はそう思うよ。

 

 

宇宙と私の生命

私はとてつもなく広いものが苦手だ。

海とか空とか、怖い。

広いものは吸い込まれそうになる。

なかでもいちばん怖いのは宇宙。

海とか空は自分では見えないけど終わりがあることは分かっている。

でも宇宙の終わりは知らない。

 

小さいとき、親が買ってくれた宇宙の図鑑を初めて見たときからずっとずっと宇宙が怖くてしかたない。

地球の大きさと太陽の大きさを比較した絵を見たとき、すごくびっくりした。

地球の全部を私は知らないのに、太陽はそれよりも遥かに大きくて、宇宙はその太陽よりも遥かに遥かに大きい。

想像すらつかない。

 

終わりが無いって怖い。

初めて数字に終わりが無いことを知ったときのことを思い出したけれど、数字は理論上のもの。

でも宇宙は実在するもの。

「終わりが無い」ってことがちっとも想像出来ない。

怖い。

 

小学校の理科で宇宙について勉強しても怖さは消えなかった。

宇宙にすごく詳しくなったとしても、たぶんずっと怖い。

 

宇宙はすっごくすっごく大きくて、地球はそれに比べたら米粒よりも小さくて、私という人間は宇宙から見たら無いに等しいほどに小さい。

そんな私が生きる意味って?

いつかは必ず死ぬのに。

例え100年生きたとしても宇宙から見たら一瞬で死んだも同然だろう。

いや、一瞬すらないか。

 

だけど、私という人間が体感する100年はあまりにも長い。

しかもその中で、学校行ったり働いたり、病気になったり怪我したり、泣いたり笑ったり、嬉しいことも辛いことも苦しいことも、とにかくたくさんある。

働いて税金納めて物を買って社会の一部になったとしても、そんなの宇宙から見たらなんにも無い。

戦争で人がたくさん死んだとしても宇宙から見たらなんにも無い。

 

それなのに私ひとりが生きる意味とは何?

勉強して学校行って働く意味って何?

死ぬ意味って何?

 

私だけじゃない、他の人間も動物も植物もそう。

こんな小さい地球上で社会の仕組みとかアホらしい。

こんな小さい地球上で子孫を残すために生きるのなんてアホらしい。

そういうふうに思ってしまう。

社会の授業で政治とか金融とか習ったときもそういうこと考えてた。

理科の授業で生殖について習ったときも。

 

私はちっぽけだから宇宙とか広いものが怖いのだと思う、たぶん。

 

そんなちっぽけな私の生きる意味なんてたぶん無い。

絶対無い。

 

でも死ねないから生きてるだけなんだよきっと。

生まれてから死ぬ寸前までずーっと死にぞこないなんだ。

別に死にぞこないでいいし、死にぞこないって呼ばれることに嫌悪感とかない。

宇宙から見たらそんなのどーーでもいいことだもんね!

 

 

 

 

 

 

私が、それでも世界が続くならのライブで感じたこと

2017.05.20

初めて、それでも世界が続くなら、のライブに行ってきた。最初から最後までとにかく圧倒されっぱなしのライブだった。

 

「生きててよかった」「生きてていいんだ」

じゃない。

「これからも生きてていいんだ」そう思った。

私は20歳になる前には自殺するつもりだったし、とにかく毎日死にたかった。

でもさ、それせかの、死んでしまうんじゃないかってほど全力で音楽を鳴らす4人を観てたら、なんか、「これからも生きてていいんだ」って思ったよ。

死にたいままでも、生きていける。それは苦しいけど、血を吐きながらだって生きていけるんだ。

たぶん私は、今の弱いままの、死にたいままの自分でこの先もなんだかんだ生きてるよ、きっと。

死にたいけどさ、やっぱり心の奥底では、生きたい、って思っているのかもしれない。わからないけど。奥過ぎて見えないだけかもしれない。

 

上手く言葉にできないけれど、今回のライブで私が得たものはものすごく大きかった。私の腕では抱えきれないほどのものを、それせかは渡してくれた。抱えきれないから、一部は手のひらに隠し持って、一部は引き出しにしまって、一部はベッドサイドに飾って、ゆっくりゆっくり私の体内に取り込むつもり。ほんのひと欠片だって捨てたり落としたりはしない。時間はかかってしまうかもしれないけど、確実に全部、私の身体を造る材料にする。もしかしたら材料じゃなくて接着剤になったりもするかもしれない。

 

どうしても上手く言葉にできないから、なんだかもどかしい。

とにかく言語化するのが難しい。ただ忘れてしまうのがあまりにも怖かったから書き留めてみただけの日記。そんなかんじ。

 

ほんとうにこのライブに行けてよかった。

素晴らしい時間をありがとう。

また絶対それせかを観に行く。絶対に。